東京鉛筆組会昭午会
会長 杉谷龍一
   明治45年1月10日に東京鉛筆製造組合として設立され、形態を変えながらも110年を超える歴史の中、我が組合は2020年に東京鉛筆組合昭午会として名称を変え新たなスタートを切りました。
   一般的にはあまり知られていませんが日本の鉛筆の生産業者の約80%は現在も東京の下町を中心とした場所にあり「東京の地場産業」として発展して来ました。
   鉛筆の国産化は1877年ごろといわれています。当時輸入品が市場の大半を占めていた中、安価な国産品を供給する必要がありました。東京の三河島駅に木材が集積されていたところから、鉛筆製造業者がぞくぞくと荒川区に集まり、協力し合い、いいものをつくろうと、切磋琢磨し合った事が日本の鉛筆が世界ナンバー1の品質と言われる原動力であったと思っています。
   現在鉛筆を取り巻く環境は大きく変わり、生産量だけ見ても1970年頃のピークから約7分の1の量となっています。大人の仕事から子供の勉強まで、書く道具と言えば鉛筆だった時代から、ビジネスシーンで使う筆記具はボールペンが多くなり、学生はシャープペンシルを使う、そもそも文字を書くという行為自体が、ワープロ、パソコン、タブレットと言った電子機器に代わってしまい少なくなってしまいました。今では子供達が学校で使う筆記具のイメージが強くなってきてしまった鉛筆ですが。私は最終的に残る筆記具は鉛筆だと思っています。
   黒鉛と粘土と木材と言うとてもシンプルな材料で全てが天然素材から出来ているサスティナブルな筆記具だと言えることに加え、鉛筆以外の筆記具との大きな違いは、唯一目で見ただけで筆記が可能であると認識できる筆記具であるという事。また鉛筆は何百年経っても書け無くなる事もなく、灼熱、極寒、水中、宇宙空間、どんな環境でも筆記が可能なのは鉛筆だけです。消しゴムで消せるため消えやすい印象を持つ鉛筆ですが、鉛筆で書いた文字は全く変わることなく時を超えます。
   選挙は鉛筆、大事なテストは鉛筆、子供たちが文字を正しく学ぶのも鉛筆。一番絶対的な信頼を持つ筆記具が鉛筆であり、人を裏切ることなく必ず書けるのが鉛筆です。
   大人になると使う機会が減ってしまう鉛筆ですが、その持つなめらかな書き心地や、少しずつすり減っていく粘土芯の感触、黒鉛や木材の香りが楽しめるのも、実は大人になってから。子供が使う筆記具だからとか、削らなくてはいけないから面倒くさいと敬遠せず、鉛筆の良さを一番理解できるのは長年培った大人の感性だと思っています。身近過ぎて目を向ける事が少ない鉛筆に是非目を向けて頂ければ幸いです。

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